唐人屋敷の版権フリー写真
聖福寺(しょうふくじ)

 


唐人屋敷 フリー写真素材

唐人屋敷

唐人屋敷(とうじんやしき)は江戸時代の「鎖国」政策により長崎に設置された中国人住居地区。

1688年長崎郊外にある十善寺郷に幕府が所有する御薬園の土地で唐人屋敷の建設に着手し、翌年完成した。広さは約9,400坪に及び、2,000人程度の収容能力をもつ。現在の長崎市館内町の地である。周囲は塀と堀で囲まれ、大門の脇には番所が設けられ、出入りを監視した。ただ出島のオランダ人が厳重に監視されたのに比べ、中国人は比較的自由に出入りが許された。

1698年の大火で五島町や大黒町にあった中国船の荷蔵が焼失したため、倉庫に目が届きやすいよう、唐人屋敷前面の海を埋め立てて中国船専用の倉庫区域を造成した。この地域が新地と呼ばれる。

1859年の開国によって唐人屋敷は廃屋化し、1870年に焼失した。その後、在住中国人は隣接の長崎市新地町に中華街を形成し、長崎新地中華街となる。

 

土神堂

元禄4年(1691)9月、土神の石殿を建立したいという唐人達の願が許され建立された。

土神とは土地や家を守り、豊作の神様として古くから中国で信仰されてきた神様


天后堂

長崎名勝図絵(ながさきめいしょうずえ)は元文元年(1736)南京(なんきん)の人たちが初めて建てたとしている。

天后堂は、航海安全の神様・天后聖母(媽祖)と財神護国救民の神・関帝を併祀するお堂で、別名「関帝堂」


 

福建会館


 

アートワークスフリーフォト Copyright (C) 2005Artworks. All Rights Reserved.