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軍艦島


写真集

PDFファイル(A4サイズ用)2.85 MB

撮影 竹村倉二

使用写真



長崎県西彼杵郡高島町端島・・・通称、軍艦島
今も、長崎の海に浮かんでいる。
1974年。無人の島となった。僕が19才の時のことである。

昭和62年頃
東京で写真をやっている後輩から、長崎の僕へ電話が入った。
「軍艦島へ行きたい」とのことだった。

「軍艦島?、ああ、端島の事か」
僕は一瞬戸惑った。
端島に「撮影すべき魅力ある被写体」があるとは思わなかったからである。
そのあたりの事情に詳しいカメラマンの先輩と相談した挙句
3人で軍艦島に行きキャンプを張って1泊しようという話になった。
「軍艦島」の「有名な廃墟」を僕も撮影しようと思ったからである。

釣り船に話をつけて、渡してもらい「軍艦島」へ乗り込んだ。

僕たちは体育館跡らしき場所の玄関にテントを張った。
三人とも、カメラマンである。
手際よくセッティングを済ませると、思い思いに廃墟の中をカメラを構えて歩きまわった。


僕は、この廃墟の建物が怖かった。
不思議な威圧感があるのだ。
僕は、奥深く歩き回るのをためらった。
普通ならフィルム10本ぐらいはすぐに撮影してしまうのだが
今回は、なかなかシャッターを押せなかった。
それだけを今も覚えている。

今思えば、この感覚は東京時代にも一度あった。
僕がカメラを持ってほっつき歩いていた時、僕のすぐそばで救急車が止まったのだ。そちらを見ると人垣が出来ている。
僕も、急いで人の輪の中にもぐりこんだ。

人が倒れていた。
病気なのか、事故なのかわからない。
僕は報道カメラマンのふりをして、何枚か写真を撮った。
すぐ近くに塀があったので、急いでのぼり、「倒れている人を取り囲む群衆」という構図をねらい、でファインダーをのぞいた。そして条件反射的にシャッターを押した。
その時、とてもいやな感じがした。

軍艦島の廃墟にカメラを向けたときも、「その感じ」がした。
だから最後まで腰が引けていた。

もう二度と廃墟は撮らないだろうと、そのとき思ったのだ。
翌朝、迎えの船が来て何事もなく僕たちは、軍艦島を離れた。


僕には「撮りたくないもの」がある。
いや「撮れないもの」がある。

僕の力不足もあるし、「撮りきれない」と最初からあきらめている場合もある。

人がいなくなった場所というのはいつだって荒れ果てていく。
そこに何の意味があるのだろうか。
もし意味があるとすれば、それは重要な事なのだろうか。

「意味がある」から撮影するわけではないが
静かに見守っていたいものもある。
いつか軍艦島の廃墟が自然と風化していき、何もなくなってもとの岩礁になる日が来るだろう。その時まで、静かに海の上にいてほしい。
僕はそれを、陸の上で見つめているだけでいい。

 撮影・文
竹村倉二

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